浅野哲夫

あさのてつお

食事処あさのオーナー / 元タクシー運転手

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 1章 「子どもの頃のこと」

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松本へはじめて来たのは、昭和15、16年頃です。ステーションホテルに嫁いでいた私の祖父の妹に、当時洋食もやっていたスヰトに連れて行ってもらってお昼を食べたと思います。木曽の山からでてきた自分にとって、「俺は松本に行ってきたぞ」って自慢できるようなかっこいいお店で、当時でいうハイカラさんがたくさん出入りしていました。多分カレーと当時はまだ珍しかったカキフライを食べたと思います。未だにその記憶は頭から離れないですね…

 2章 「警察予備隊時代」

中学校卒業後地元で勤めはじめましたが、やっぱり松本へ出たいと思い、昭和27年の10月に警察予備隊という今でいう自衛隊の試験に合格して入隊しました。終戦が昭和20年で、25年に警察予備隊ができました。私が受けたのは一期生で脱落した隊員の補充的な試験だったので、20倍くらいの競争率でした。その頃はあまり就職もなかったので倍率は高かったんです。新潟の高田市で最初に一般教育、そのあと、衛生兵として人体解剖、包帯法などを学び、松本では電話機の消毒や牛乳の成分調査などの検査の仕事を担当しました。

朝鮮動乱後だったので、教官には米軍兵隊の他に旧軍隊のOBが来ていました。彼らは本当に手が早かったですね~

警察予備隊の任期は2年です。退職金は当時のお金で6~8万円頂きました。全額妹が嫁に行くために使いました。ラーメン一杯が15円くらいの時代です。仲間のなかでは、その退職金で牛を買って農家へ預けてお金を儲けた人もいました。当時は牛を使っている農家もまだ多かったんです。警察予備隊では生活に必要なものはだいたい支給されましたが、誰もが少しでも金を残したくて、歯磨き粉を買うのももったいないといって、塩で磨いたりする人もいました。

当時の思い出としては、もう時効だと思いますが、自分がいた医務室の隣に、メジャー(アメリカ陸軍少佐)の部屋があって、暇な時に車を洗ってあげたりしていたら彼に気に入られて、メジャーのシボレーを運転させてもらったことです(笑)このあと自分は、松本市役所の運転手の試験を受けることになりますが、そのときの採用試験の車が偶然にもシボレーだったんですよ。運転の実地試験がおわったとき、試験官が「これでやっと一服吸える」って言ったのを覚えています。それを聞いたとき私は「よし、受かった」って思いましたね(笑)18歳のときにすでにメジャーのシボレーに何度も乗ってたわけですから実地試験でピカイチになるのも当然ですよね。私は中学校しか出ていませんが、警察予備隊で軍隊OBにしつけられたため挨拶やドアを開ける作法などがしっかりできてたこともあったので市役所に勤められたと思います。いろいろ運もよかったんです。

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 3章 「松本市役所時代」

今の場所に松本市役所ができたのは昭和33年頃で、昔は上土にありました。5時の時報がなるとみんな上土で飲んでましたね。縄手や六九商店街は人がいっぱいいる賑やかな場所でした。その頃は、ある意味おおらかな時代だったので机の下に日本酒の一升瓶を置いている人もいたくらいです。

また、あの当時は福祉事務所に「これを何かに使ってください」と言って名前を伏せて寄付をする方が2、3人いました。一度に山ほど持ってくるんじゃなくて、自分で貯めたお金を何度かに分けて持ってきている、そんな感じでした。スヰトの渡辺さんのおばあちゃんの房江さんもその一人だったのでとても印象に残っています。今はあまりそういう人はいないと思います。寄付をするとしても売名目的なことが多いような気がするのは残念ですね。

私は、降旗、深澤、有賀の時代の市長と助役の運転手を25年務めました。市長の運転手をしていると、国会議員、県会議員などの政治家から市の賓客などの著名な方をお乗せする機会があります。今の天皇様、皇后美智子様、バーナードリーチさん、柳宗悦さんなど普通だったらお目にかかれない素敵な方もたくさんお乗せしました。おもしろい話や裏話もありますよ。市民タイムスの佐藤あや子さんに「ハンドルの人生というタイトルで一冊本も書けるわね」と言われたこともあります(笑) あと、新聞にも出た話なので今なら話してもいいと思いますが、イギリスのエリザベス女王の妹のマーガレット王妃との恋で有名なピーター・タウンゼントさんをご案内したこともあります。その時はおしのびで来てたのでタウンゼント氏はイギリスの新聞記者だってことになっていました。もちろん自分もそう知らされていました。運転中の世間話として、「イギリスっていえばピータータウンゼントさんは気の毒だと思う、みんな応援してるよ」と、言ったら大笑いされました。本人がそこにいたんですから(笑)まさか私みたいな運転手に言いあてられるとは思ってもなかったんだと思います。

また、土地の交渉などは、直接市長が行っても相手は玄関の戸すら開けてくれません。そういうところに運転手の私が行ってちょっと話をしてきたこともあります。固くなっている人の心を開くのは猫を手名付けるのと同じ感じですね。まっすぐこっちから行くと逃げてしまうものです。

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田中角栄さんとのエピソード

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前市長の降旗さんが新潟の田中角栄さんに挨拶に行ったときのことです。降旗さんが「わざわざ時間をとっていただいてありがとうございます」と言ったら、「降旗さん先輩だからそんな言い方しなくていいよ」とおっしゃったんですよね。年齢は降旗さんのほうが上でしたが、当時角栄さんはすでに大臣をやっていたと思います。そのとき角栄さんが私に「お前はどこの生まれだ?」と聞かれたので、「私は御嶽山の麓で生まれた木曽の山猿でございます」と言ったら、それをたいそう気に入ってくれて、「おもしろいねー、今日からお前は山猿だ」と豪快に笑いながら気さくにお話をしてくれました。なんとなくですが、上にあがって行く人だな、かっこいい人だなってそのとき思いましたね。

 4章 「ラーメン店をはじめようとしたきっかけ」

50歳ぐらいのときに、松本市が管理する老人福祉センターのおぼけ荘に配属になりました。おぼけ荘は松本市に住む60歳以上の人なら無料で温泉に入ったり、各種講座を受けれたりできます。弁当をもってきたり出前をとったりしながら、定年を迎えたご年配の方が一日のんびり過ごすことができるのですが、それを見たときに自分はそれをうらやましいとは思わなくて、60歳を過ぎてすることがないのは嫌だなって感じたんです。これは何かしなきゃって思ったんです。

ラーメン店にしようと思ったのは、竹乃家(池波正太郎のエッセイにもでてくるお店です)にラーメンを食べにいったときに、先代の人に、「ラーメンを作ることを覚えたら世界中どこへいっても食いっぱぐれないから覚えろ」って言われたことがあって、ときどきお店で作り方を聞いて作らせてもらったことがあったんですよね。

でも竹乃家で修行したかというとそうではなくて、ラーメンの味については基本的には独学です。職員だった頃は出張に行ったら、次の日の準備が終わるとラーメンを食べに出かけました。タクシーの運転手に聞くとおいしいところを教えてくれるから、舌で味を覚えました。市長の運転手をしていると一流のレストランしか行かないという利点もあって、舌は肥えていたんだと思います。シナチクの作りかただけは台湾で勉強しましたが、後は全部独学です。

また、たまたまご縁で裏町の魚長さんの配達をお手伝いしたことがあり、(アルバイトではできないので、調理師の免許をとりたいという理由で勤務時間を優遇してもらいました)そのときは配達先の倉庫やゴミ箱を見てどの店がどんな材料を使っているかさりげなくチェックしていました。そういうのが勉強なんです。やっぱり材料費をケチケチしたらおいしいスープなんてできないって思いましたね。

あるときお城のイベントか何かで、ラーメンの材料を用意して市の職員にふるまったことがありました、そうしたらそれが評判がよくて、これはお金とれるぞってみんなに言われました。家族以外の人に食べてもらったのはそこが最初でその味が原点ですね。

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あさのラーメンのおいしさの秘密!を聞いてみました

あさのでは、ラーメンのスープには鰹節と言われるものは3いろ(3種類)にぼしと名がつくものも3いろ(3種類)は使っています。

職員だった頃から自宅でスープの味は10年くらい研究しました。家族や娘を相手に、昆布とにぼし、かつおぶしのバランス、どの素材がラーメンに適しているか実験みたいな感じですね。ラーメンって大人も子どもも同じものを食べるので、各世代に満足してもらえる味を作ろうと思いました。ラーメンのスープはそこが難しいところだと思います。

肉の部位をどこにするかはいろいろ研究してみた結果、三枚肉を使っています。油がないとおいしくないですから。最初、厚い鉄板で焼いてから一時間くらい煮込み、一日おいて味をしみこませます。(煮物でもなんでも温度が下がる時に味が入ります。これは覚えておくといいですよ)

うちのチャーシューの肉のキメ細かさとしっとりした感じは、鉄板が家庭用より重くて厚いから、ゆっくり中まで火が通ることからくると思います。

私は昔から料理をしてたわけじゃないですが、味覚は強かったんです。舌がよかったから味を記憶できた。今の子どもは、スナック菓子とか加工食品で味覚が形成されるときに舌をだめにされてしまうから。本来の素材の味を知らないまま大きくなってしまうのでかわいそうだなと思います。

食材の本来の味がどこで一番でるのか、そのタイミングがわかる人が料理が上手になれると思うんです。水から煮ることで味がでるもの、お湯から入れるもの、冷めるときに味が入るものなどいろいろありますよね。例えばみそ汁は、時間がたつと味噌の味も香りもとんでしまうから、沸騰したときにさっと味噌を入れることが大切。旅館などでもみそ汁を50人分作るときに、半分ずつ仕事をする旅館はいい旅館だと思います。高級なものを使っていても、その素材が一番おいしくなる使い方をしないとおいしくならないです。素材を大切にするってそういうことだと思いますね。

ラーメン屋にくるお客さんは、食べるために来ているので、少しでも早くだしてあげたいと思っています。だから営業中も大事だけど、仕込み、裏仕事が一番大切。お客さんの目の前に届いたときに一番おいしい状態ですばやく提供できるように毎日準備しています。 うちは、スープをとる作業は裏でやることにしてるんです。骨とか煮込んでいるのは見ていて食欲がわくものじゃないと思うから。お店の掃除は基本的に毎日自分たちでしますが、高いところとかに登ってスタッフが怪我をするのはよくないから、定期的にプロにもお願いしています。お店はきれいなほうがお客さんも気持いいでしょ。来年20年になりますが、風邪をひいて休んだことは一日もないです。みんなが「おやじはどうした」って心配するからね。自己管理もこの仕事をする上では大切です。

 5章 「仕事の楽しさ」

この商売はいいものを作っていかないと飽きられちゃいますよね。お客さんに、他の店にこの間行ってみたけどやっぱりここがいいなーって思って戻ってきた、なんていわれると嬉しいですよ。前の市長の有賀さんには、「おまえのとこはスープになにを入れてるんだ?食事終わって店を出たらまた入りたくなっちゃうよ」なんて冗談めかしてほめられたこともあります。まじめにこの商売やってきてよかったと思うのはそういうときです。雨の日や雪の日に来てくれたお客さんには「こんな日に来てくれてありがとう」って言いたくなります。

 6章 「家族のこと」

ラーメン屋をはじめるって言ったときは、家族親せき全員に反対されました。ステーションビルの先代の社長だけがやったらいいって言ってくれたけど、借金もしないといけないし、女房はゆっくり庭いじりして過ごしたかったからもう大反対(奥さま:この人はおしゃべり好きだけど、私は本当に人前に出るのが嫌でね~)女房は、きちんと整理整頓されてないと気が済まない人だから、やるって決めたら、毎日コツコツ働いてくれました。掃除に使うタオルの並べ方一つみたらわかると思うけど、きっちり揃ってるんですよ(笑)女性は、仕事が終わっても家でご飯を作ったり、洗濯したりしないといけないから大変なのはわかるんです。私より寝る時間も少なくなってしまうからね。奥さんももういい年だから、疲れると思う。そこはわかって、買い物とかちょこっとしたことを手伝ってあげたり、休みの日は景色のいいところでコーヒーを飲みに行ったり、おいしいものを食べに行ったりとかそういう気遣いも大切です。

 7章 「次の世代へおやじからの苦言」

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 子どもの教育

夕飯のときに魚を出して子どもが食べたくないって言ったら慌てて肉を焼くみたいなのはがまんが足りない子どもになるだけです。どんな仕事でも楽な仕事ばかりじゃないです。

 学校教育

君が代を学校で歌っちゃいけないとかおかしいと思います。そういうのが嫌なら学校の先生にならないほうがいい。PTAは学校をだめにしてますよね。最近 学校で箸の使い方を教えろとか言う親がいますが、それは学校で教えるものじゃないです。そういうことを平気で言うのはおかしい。学校は勉強を教えるところ。生活は家で教えなきゃいけない。先生も大変だと思いますが、最近は成績だけで採用するからだめなんじゃないかと思います。昔は生徒のスカートめくったりするとかそういうおかしな人はいなかったんじゃないかな。

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 道具を大切にすること

はじめて給料をもらったときには包丁を買ったもんです。ステンレスの包丁を最近の人は買うけれど、鋼の包丁を買えば一生使えます。包丁を研ぐときも、20回もやったらもったいない。3回でも切れるようになるんだからそういうことを覚えないといけないと思います。いい道具を手入れして一生大切に使う方が安いし便利です。今の人はそういう計算をしないよね。

 最近の女性

最近包丁が使えない女性が多いのは気になります。包丁が使えないってことは料理ができないってことですよね。旦那さんににかわいがって欲しかったら料理を作れって思いますが…インスタント食品ばかり食べさせてたらやっぱりだめですよ。料理を作れないことと関係あるかわからないけど、最近の女性の食べ方は汚いと思います。昔はもう少し違いました。日本の女性のいいところはそういうところだと思います。

 贅沢をするな

生活レベルが上がって人間が追いついていってないんだと思います。お見合いで新車に乗ってくる男はやめたほうがいいと思いますね。女性は古いものでも清潔な服装をしてくる人がいい女性です。

 政治

NHKの放送は右に寄らないといけないのに、左に寄った放送ばかりしているので世の中がそっちに流れちゃう。反体制のほうが居心地がいいのかもしれないですね。

最近の政治家は売名行為ででてくる人か二世とか三世。金がなければ政治家にはなれない時代です。二世や三世でうまくいくところは、一般の会社でも少ないですよ。トヨタ自動車はずっと子どもに後を継がせてなかったと思います。

 社長は社員と一緒に働け

私の名刺には「おやじ」って書いてあります。社長って名前がつくと仕事しなくなっちゃうんです。松本で会社が代々続いてないのは城山に家を作って早く帰っちゃうからじゃないかな。おやじは夜遅くまで社員と一緒に働く、その違いです。社員と一緒に会社で寝泊まりできるくらいが幸せだと思います。

 昭和20年以降に生まれた親

戦争や戦後を知らないで育った親は気の毒だと思います。自分たちが苦労したから子どもには苦労させないって その前の親達が大事にしすぎたんだよね。昔は雪の降る日でも遅刻せずに歩いて学校に行くのが普通でしたが、高校に行くのに歩いて10分のところを車で送ったりしてたら軟弱になるだけです。

 おかげさまという気持ち

私は、お世話になった人を絶対裏切りません。今までお世話になった人には忠実です。戌年ってこともあると思います。「おかげさま」は日本人のよさが現れている言葉だと思います。それだけで世の中もってきたんです。今はそれがないですよね。

私の出身地の木祖は就職口があまりないので、木祖の何人もの次男坊に就職を紹介してきました。(木祖村の村長からは感謝状もいただいています)皆それなりにお金を作って子どもも仕上げてきていますが、おかげさまですって言ってくれたのは一人だけなんですよ。親が教えないんでしょうね。もったいないとおかげさまという気持ちがなくなってはいけないと思います。

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 8章 「80歳を迎えてこれからしたいこと」

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写真を撮れるようになりたいですね。カメラをはじめたんです。カメラを持っただけで、景色が変わって見えておもしろいんです。漠然と見ていた山が前より綺麗に見えます。写真撮り始めたら、電線って気になるもんだね~。せっかくいい景色なのにってよく思います。

あとは、今も毎月行ってるといえば行ってるんだけど、かあちゃんと二人で旅行とかのんびりしたいよね。この間は大町の奥の高瀬川に行って、一番奥の温泉に入って、川原でおにぎり食べたんだけど、気持よかったですよ。まーそこを知り合いに見られちゃって「浅野さんはしっかりしてるねー、ここまできておにぎりかい」とか言われちゃったけどね(笑)

 今の夢は?

健康で長生きしたいけど、あんまり長く生きても迷惑かかるからな~

年に一度は養老院に行ってラーメンを作るっていうボランティアはできるかぎり続けたいと思っています。行事食として毎回180食作ります。かれこれ12年になりますね。この年で感謝状も頂きました。ご年配の方が目を細めておいしそうに食べているのを見るのはいいものです。

写真 / ヨシダトモユキ
文章 / 手塚さゆり